2018年3月8日木曜日

<コラム>『ルネサンスとは何であるか?』~聖フランチェスコから考える

中世の舞台芸術を知るにもやはりルネサンスを理解しなくてはいけない。

ルネサンスとは何であるか?
一般的には14世紀に始まった動きで「古典への復興」と訳される事が多いように思う。
でもその説明だけではやはり不十分であると思う。
ポイントとなるのは古代ローマから約1000年もの間、なぜこのような芸術運動が生まれ出なかったかと言う事だ。
この大きな理由の一つがキリスト教会の権力集中とそれによる人々への圧迫だ。
これによりあらゆる芸術運動は押さえられていたのだ。
逆を言えば、ルネサンスとはこのキリスト教会の圧力から解き放たれた時代と言ってもよいかもしれない。

『ルネサンスとは何であったか?』(塩野七生/著)の中で塩野氏はルネサンスの始まりとなるキーパーソンの一人に聖フランチェスコ(1181-1228)をあげている。いち宗教家でしかないフランチェスコがなぜルネサンスの始まりの人となるのか?

それは彼が欲と権力に溺れてしまったキリスト教会に異を感じ、
本来あるべきキリスト教の教えを説き、
キリスト教会の権力と圧迫を解く一つのきっかけを作ったからだ。

キリスト教とは愛の教えであり、そして、清く貧しくあるべきだと。


当時のキリスト教会はその権力を守るが為にいろいろな制約や罰則で人々を苦しめていた。当時の人々にとってキリスト教とはそんな権力の象徴だったのである。

フランチェスコの清貧思想は当時のキリスト教会とは正反対の動きであった。
普通に考えればキリスト教会によって簡単につぶされそうなのに当時の法王であったイノセント三世はこの思想を認めそして祝福までしている。

この動きも非常に面白い。

でもこれは本心というよりも民衆からの指示を受けていたフランチェスコの思想をつぶすよりもうまく活かしておいた方が自分たちの為にもでもなるとでも考えたのであろうか?
(この辺りはキリスト教会の力を最大にしたと言われるイノセント三世の懐の深さを感じる。)

まあ細かい理由はどうであれ、これはフランチェスコにとってはとても幸運であった。
法王にも認められた事によってこの清貧思想と正しい聖書の教えを人々に広める為にフランチェスコは精力的に動いた。

教会の中の宗教画もその活動の一つだ。
しかし、当時流行っていたモザイク画は豪華絢爛でどうしても高くなってしまう。
そして、フランチェスコの清貧思想とも合わない。
そこで考え出されたのが半乾きの漆喰の上に素早く絵を描くフレスコ画の技法であった。
これであれば安価で早く、しかも簡素でありながら大胆でわかりやすい作品を描く事ができる。まさにフランチェスコの清貧思想と合っていたわけだ。

そんなフランチェスコの動きがあったからこそ、ジョットが生まれ、その後に続くルネサンス絵画が生まれたと言っても良いかもしれない。

(by/suzuken 2018_0308)