ジュリオ・パリッジ(Giulio Parigi、1571-1635)
イタリアの建築家。舞台美術家・土木技師・画家
メディチ家お抱えの建築家の主要メンバーだった。
彼の父(Alfonso Parigi the Elder)もまたトスカーナ大公の為にフィレンツェで働く建築だった。
彼は革新的な舞台美術家としても注目を浴びる。
建築家として公共建築にロッジオ※を用いた最初の建築家であると言われている。
※ロッジア(loggia)は、イタリアで生まれた建築意匠の一種を指す言葉で、ファサードに一方の側が外に開かれた廊下を配し、一定間隔の柱で支持するか、単に壁に開口部を設けた形状のものである。開廊、涼み廊下とも。
2018年9月7日金曜日
2018年3月8日木曜日
<コラム>『ルネサンスとは何であるか?』~聖フランチェスコから考える
中世の舞台芸術を知るにもやはりルネサンスを理解しなくてはいけない。
ルネサンスとは何であるか?
一般的には14世紀に始まった動きで「古典への復興」と訳される事が多いように思う。
でもその説明だけではやはり不十分であると思う。
でもその説明だけではやはり不十分であると思う。
ポイントとなるのは古代ローマから約1000年もの間、なぜこのような芸術運動が生まれ出なかったかと言う事だ。
この大きな理由の一つがキリスト教会の権力集中とそれによる人々への圧迫だ。
これによりあらゆる芸術運動は押さえられていたのだ。
逆を言えば、ルネサンスとはこのキリスト教会の圧力から解き放たれた時代と言ってもよいかもしれない。
これによりあらゆる芸術運動は押さえられていたのだ。
逆を言えば、ルネサンスとはこのキリスト教会の圧力から解き放たれた時代と言ってもよいかもしれない。
『ルネサンスとは何であったか?』(塩野七生/著)の中で塩野氏はルネサンスの始まりとなるキーパーソンの一人に聖フランチェスコ(1181-1228)をあげている。いち宗教家でしかないフランチェスコがなぜルネサンスの始まりの人となるのか?
それは彼が欲と権力に溺れてしまったキリスト教会に異を感じ、
本来あるべきキリスト教の教えを説き、
キリスト教会の権力と圧迫を解く一つのきっかけを作ったからだ。
本来あるべきキリスト教の教えを説き、
キリスト教会の権力と圧迫を解く一つのきっかけを作ったからだ。
キリスト教とは愛の教えであり、そして、清く貧しくあるべきだと。
当時のキリスト教会はその権力を守るが為にいろいろな制約や罰則で人々を苦しめていた。当時の人々にとってキリスト教とはそんな権力の象徴だったのである。
フランチェスコの清貧思想は当時のキリスト教会とは正反対の動きであった。
普通に考えればキリスト教会によって簡単につぶされそうなのに当時の法王であったイノセント三世はこの思想を認めそして祝福までしている。
普通に考えればキリスト教会によって簡単につぶされそうなのに当時の法王であったイノセント三世はこの思想を認めそして祝福までしている。
この動きも非常に面白い。
でもこれは本心というよりも民衆からの指示を受けていたフランチェスコの思想をつぶすよりもうまく活かしておいた方が自分たちの為にもでもなるとでも考えたのであろうか?
(この辺りはキリスト教会の力を最大にしたと言われるイノセント三世の懐の深さを感じる。)
まあ細かい理由はどうであれ、これはフランチェスコにとってはとても幸運であった。
法王にも認められた事によってこの清貧思想と正しい聖書の教えを人々に広める為にフランチェスコは精力的に動いた。
教会の中の宗教画もその活動の一つだ。
しかし、当時流行っていたモザイク画は豪華絢爛でどうしても高くなってしまう。
そして、フランチェスコの清貧思想とも合わない。
そこで考え出されたのが半乾きの漆喰の上に素早く絵を描くフレスコ画の技法であった。
これであれば安価で早く、しかも簡素でありながら大胆でわかりやすい作品を描く事ができる。まさにフランチェスコの清貧思想と合っていたわけだ。
そんなフランチェスコの動きがあったからこそ、ジョットが生まれ、その後に続くルネサンス絵画が生まれたと言っても良いかもしれない。
(by/suzuken 2018_0308)
2018年1月9日火曜日
ヴァレンシエンヌでの受難劇
The Passion play at Valciennes,France,in 1547, by Hubert
Cailleau from/"making the scene"p42 fig2.17
1547年にヒューバート・チャイユーによって描かれたヴァレンシエンヌでの受難劇
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受難劇とは十字架にかかるイエスの受難を描いた中世演劇の一形態である。聖史劇の一種で復活劇から発展し、見せ物としての要素も持つ。
モチーフにマリアの嘆き、刑場への道、サイドの晩餐などの場面を加えている。13世紀〜16世紀にかけてヨーロッパの各地で上演された。
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チャイユーの絵がどこまで信憑性があるかわからないが、分析すると以下のようなレイアウトになる。
マンションの配置は日ごとに変えられたようである。
この受難劇を上演する為に最低でも25日間必要されたと言われている。
1547年にヒューバート・チャイユーによって描かれたヴァレンシエンヌでの受難劇
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受難劇とは十字架にかかるイエスの受難を描いた中世演劇の一形態である。聖史劇の一種で復活劇から発展し、見せ物としての要素も持つ。
モチーフにマリアの嘆き、刑場への道、サイドの晩餐などの場面を加えている。13世紀〜16世紀にかけてヨーロッパの各地で上演された。
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チャイユーの絵がどこまで信憑性があるかわからないが、分析すると以下のようなレイアウトになる。
マンションの配置は日ごとに変えられたようである。
この受難劇を上演する為に最低でも25日間必要されたと言われている。
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