2015年12月1日火曜日

古代ギリシアのシーニックデザイン

by suzuken

西洋演劇の歴史は通常紀元前6世紀頃にアテネで始まると言われている。
舞台美術(セノグラフィー)の歴史もそこが出発点であろう。
ディオニソスは初期の劇場としてもそのフェスティバルとしてももっとも有名な劇場の一つである。

考古学的には初期の劇場には物理的構造物はなかったとされている。
オルケストラ(踊る場所)とその外側に観客が集まるテアトロンがあっただけであった。

『Theatre and Playhouse』 著/Richard 
Leacroft and Helen Leafcroftより(※日本語加筆)

その当時の劇場には観客を遮るような物理的構造物は一切なかった。
劇場から海や山や空を見る事ができた。ギリシアにおいて世界とは神・人間・自然が関連しあって作られる物だと信じられていた。そこでは人間ドラマだけではなく、宇宙的な広がりも感じていたはずだ。
『Antike Griechische Theaterbanten』著/Ernstr Robert Fiechter

背景は芝居の演出には使われなかったし、スケネは俳優がマスクや衣裳を変える為の小屋程度の物であり、決して大きいものではなかった。


スケネの材料は未だに明らかではないが、恐らく木製で演劇祭の度に作り替えられていたのだとされている。紀元前4世紀後半頃になると石での常設の劇場が現れるようになる。

劇場の形はパーフォーマンスの形態と関連している。
劇作家アイスキュロス(525?-456 BCE)は、
第二の俳優を導入し、これによりコロス(12から50人ほどいた)の重要性を減らした。
オルケストラのサイズはコロスの数と関連する。
スケネがより精巧で多く使われるようになるとオルケストラの重要性が低くなり、小さくなっていった。

紀元前458年まではスケネは演出的な効果を果たしていなかった。
それがアイスキュロスのアガメムノンの冒頭では初めて演出的に使用される。

アガメムノーン (岩波文庫) 文庫 アイスキュロス (著), Aeschylus (原著), 久保 正彰 (翻訳)


恐らくこの見張りの男はスケネの上で演技した事だろう。



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